別に「マッサン」の宣伝をしている訳ではありませんが、前回に引き続き、今回も「マッサン」ネタです。
鴨居の大将の下でウィスキー作りをしていたマッサンは、大将の指示にしたがい日本人の口に合うように、自分の信じるウィスキーとは全く異なったウィスキーもどきの商品開発を進めていきます。
しかし、そこまでやっても売れる商品は作れず、完全に行き詰まってしまいます。そして、結局、マッサンは自分の信じるウィスキーを作るため、鴨居商店を退職することを決意します。
大将「退職はやめとけ。お前は化学者で、経営者にはなれん」
マッサン「なれます」
大将「経営者は、社員を食べささんといかんし、幸せにしたらんといかん。そのためには商品を売らんといかん。わしはイミテーションの鴨居と言われても、それができる。お前はほんまにわかってるのか」
実は起業支援の現場でも、このような会話がよくあります(別に鴨居の大将みたいに叱るわけではありません。念のため)。要するに商品があっても、それを売ることができなければ事業にならない、ということです。
例えば、商品を仕入れる金があれば、商品を準備することはできます。しかし、それが売れなければ事業になりません。さらに、たとえ売れたとしても、自分や家族が生活できるだけの売上を確保できなければ事業を継続することはできません。
つまり、商品力だけではなく、営業・販売力がなければ事業にならないのです。
ニッカウィスキーの最初の社名は「大日本果汁株式会社」、略して「日果」であったことをご存知でしょうか?鴨居の大将に退職を申し出る前に、マッサンは大阪の投資家に出資をお願いします。
マッサンが「ウィスキーは樽で寝かせるため、工場を立ち上げて商品になるまでに最低5年はかかる」と言うと、投資家は出資に難色を示します。マッサンは、「ウィスキーができるまで、りんごで果汁を作って事業を継続します」と約束します。
これまた創業時によくある話であり、典型的な失敗パターンです。マッサンのケースでいうと、りんご果汁で簡単に儲かると考えること自体、りんご果汁事業を完全になめているのです。
実際に、マッサンこと竹鶴氏は、品質へのこだわりがリンゴジュースにも及び、高価な果汁100%ジュースしか出荷しなかったため、あまり売れなかったということです(ウィキペディア情報)。
創業時によくあるパターンは、自分の事業が思ったように立ち上がらないときに、苦し紛れに誰でも簡単にできそうな別の事業に手を出すことです。誰でもできることは競争も激しく、新参者にとって事業化は困難であるのが普通です。
要するに、何をやっても簡単に儲かるわけではないのです。
とはいえマッサンは、誰に何と言われようとも、最終的には自分の信じるウィスキーの事業化に成功したわけで、紆余曲折があってもモノになる人はモノになる、ということなのでしょう。
マッサンの真似をすれば、マッサンのように成功する、かどうかは別なのですが。
経営相談室 スタッフコンサルタント 泉が担当しました。
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(2015年2月18日公開)
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