創業2代目から経営を託された非同族社長の悲しい話です。
会社は日用雑貨を中国の協力工場で製造し、国内の量販店などに販売しています。 創業は第2次世界大戦後まもなくでした。
創業者の長男が2代目社長となり、弟が専務として経営を支えていました。
社長が内部、専務が営業と、兄弟良き関係で経営していました。
ただ、社長には子どもがなく、将来の事業承継に若干の問題がありましたが、ゆくゆくは専務が社長になり、その後は専務の子どもに引き継がれていくことが暗黙の了解事項であったようです。
ところが、専務が急逝するという不幸が襲ったのです。
これで当初の事業承継のシナリオが大きく狂うことになりました。
その時点で専務の子どもはまだ高校生でした。
社長の年齢も60代でしたので、当面は続投し、将来、専務の子ども、つまり甥の成長を待って経営を託すことも可能な状況ではありました。
しかし、片腕を取られた会社の勢いは急速に衰えを見せ始めたのです。
経営の肝である営業の責任者を失った代償はあまりにも大きかったのです。
それまで資金調達をはじめとして経理・総務を中心に見てきた社長に、その任はあまりにも重すぎるものがあり、売上の不振が続くようになってきました。
そこで社長の打った手は、営業を取り纏めていた幹部社員の社長指名でした。
もちろん社長とは戸籍上無関係の非同族です。
そして会社の現業部門、つまり調達から販売までの権限を与えて、業績の回復を期したのです。
社長は会長となり、内部管理で新社長をバックアップすることとしました。
新しく指名された社長は、外部での経営に関する勉強会などに積極的に参加し、経営力を高める努力を怠りませんでした。
社員の信頼も厚く、お互いの関係も良好なものでしたので、新社長の描く姿を形にするための体制にも問題はありませんでした。
社長が交代して数年が過ぎた頃には、厳しい状況は脱しつつあり、過去の栄光を取り戻すまでにはさほどの時間は必要ない、もう一歩の段階まで達していました。
そんなときに、社長が会長から告げられたのが「甥っ子を会社に入れるで。役員で」。
甥っ子は20代後半でした。
その時の社長は50代前半。
もちろん社長には、いずれ大政奉還、創業者一族に経営を返すことになるであろうことは理解していました。
もう少し頑張って経営を軌道に乗せてから社長を譲ればいいし、それまでに社長なりの経営の考え方を教えていけたらいいと考えていました。
甥っ子が役員になって1年になろうとする頃、会長が社長に告げました。
「そろそろ社長を甥っ子に譲ってくれや」
経営権を持たない社長には対抗する術がありませんでした。
十分な帝王学もされていなかった甥っ子には、経営者としての仕事ぶりに問題もあり、社員の信頼を得られる状況ではありませんでした。
社長は会長の慰留(本心はわかりませんが)を押し切って退任。
幹部社員の何人かも後に続いたとのことです。
道半ばで交代しなければならなかった社長の気持ちはいかなものか、察しても察しきれません。
その後の同社の様子は分かりませんが、貴重な経営者を切った創業家が、自らだけでなく社員とその家族を不幸にしていなければよいと切に願っています。
担当:事業承継相談員 田口 光春(タグチ ミツハル)
事業承継に必要な準備へのアドバイス、また行動のためのサポートを行っていきます。経営者・後継者どちらのお立場の方でも、お気軽にご相談下さい。