社歴80年を誇る企業の話です。
先代社長は3代目ながら、ワンマン経営で事業を大きく伸ばしたように見られる、中興の祖といった経営者でした。
後継者には長男を予定していましたが、本人には特に伝えておらず、もちろん社内、社外にも公表はしていませんでした。
ただ、社長長男ということで、社外を含め周りは何となく感じ取ってはいましたが。
そうした状況で、社長も60歳になったばかりということで、特に後継者対策・教育は行っていませんでした。
そんなある日、社長が倒れ緊急入院する事態が起こりました。
しかし、その時は大した病気ではなく1か月もすれば職務に復帰するということで、周囲もお見舞いなど控えていました。
ところが、間もなく退院予定日という日に訃報が届いたのです。
経営の今後について具体的な指示もないまま旅立たれてしまったのです。
さあ、社内には緊迫した空気が漂いました。
亡き故人を偲ぶという感傷に浸る余裕はありません。
社長を誰にするかといった今後の経営体制を決めることを、お葬式と並行して行わなければならなかったのです。
長男は30歳を迎えたところで、まだ若いという声もありましたが、オーナー家の代表として社長を継ぐことになりました。
まだ若い息子が、何の前触れも、重責を担う覚悟を決める間もなく、経営者に祭り上げられました。
周りは本当に大丈夫かと心配したのですが、新体制は何の波乱もなく滑り出しました。
それはなぜか?
もちろん新社長は、長男としていずれはという覚悟を持っており、父親の経営姿勢を観察していたのは間違いありません。
先代の経営姿勢を踏襲することで、社内外の動揺を抑えることができたのです。
それともう一つ大きな秘密がありました。
会社は以前、上場をめざして社内の体制を整備していたのです。
ビジョン、経営理念、経営方針を社内全員で共有し、組織もそれぞれの部門が責任を持って動くような仕組みとなっていました。
亡くなった社長は中興の祖ではありましたが、決してワンマン経営者ではなかったのです。
新社長はある意味、その体制、神輿に乗りさえすれば一定の経営ができたのです。
その後、若き経営者は先代の路線を引き継ぎながらも、独自のカラーを打ち出し、業績は順調に伸びていきました。
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)