10年ほど前に出会った会社の話で、「船頭多くして船山に上る」ということわざそのものの事態に遭遇しました。
その会社は2代目が経営されていました。
そこから遡ること20年ほど前、創業者が70歳を前に突然黄泉の国に旅立たれて、2代目が就任されていました。
2代目は創業者の長女婿であり、後継者としての就任経緯は次のようでした。
創業者のこどもは女子ばかり3名で、妻も専業主婦のため、だれもその会社には関与していませんでした。
そもそも創業者は同族経営というものを嫌われたようで、親族は会社に関与させていませんでした。
その一方で社員の登用もされず、社長以外の取締役、監査役は妻や娘たちの名前で登記されていましたが、その人たちは役員であるという自覚はなかったとのことでした。
まさにワンマン経営でしたが、業績はすこぶる好調で業界でも一目置かれる存在であったのです。
70歳を迎えようとされていたのですが、事業承継、後継者については周りに全く話をされていませんでした。
その中での創業者の急逝。
一族をはじめとした周りの戸惑いは相当なものであったとのことでした。
しかし何があろうと事業は継続していかなければなりません。
そこで妻が中心となり、娘たちとの相談の結果、大企業に勤務していた長女の配偶者に無理を言って社長を引き受けてもらい、何とか体制は維持されたとのことでした。
株式は創業者がほぼ100%所有されていましたので、妻、娘たちが所定の割合に応じて均等に相続されました。
ですから相続人でなかった長女の配偶者は、株式を所有することができなかったのです。
こうして株主ではないが、一族の一員である長女の配偶者が社長に就任し、経営が再スタートしました。
流石に大企業でもまれた方であったので、その後の会社の状況は創業者の時と勝るとも劣らないものとなりました。
そして私が出会ったころの2代目社長は間もなく70歳を迎えようとされており、2回目の事業承継が喫緊の課題となりつつありました。
しかし、創業者の時と同じく、一族には後継候補となるような人が見当たらなかったのです。
創業者の配偶者は高齢ながら元気で、筆頭株主の会長として時々会社に来ては、社長と世間話をしながら、オーナーとしての思いを伝えておられました。
こうした会社の実情を知っている銀行や顧問の税理士などは、事業承継についていろいろと口を挟むようになったのです。
もちろんそれぞれに会社の行く末を思ってのことですが、それぞれの思惑も見え隠れしていたようです。
そうした本音を感じ取った社長は、それぞれの意見を慎重に吟味されました。
アドバイスの多くはM&Aで、会社の売却を勧奨されたのです。
手数料稼ぎが目的の紹介が殆どの中、社長として納得いく案件、創業者の事業に対する思いを理解し、社員の雇用維持、社名に対する考えなどに納得いく案件が見つかり、話を具体化していかれました。
お互いの経営者の挨拶、相互の事業所訪問、守秘義務契約の締結後の会社情報の開示と手続きは順調に進んでいくように思われましたが、株主の一員である娘の一人からM&A反対の声が上がりました。
ほぼ均等に株式を持ち合っていた一族でしたので、一人の会社売却反対声明は大きな妨げとなり、そこで話は立ち切れとなってしまったのです。
それから10年近くなりますが、社長は再びM&Aに取り組もうとはされませんでした。
社長の年齢も上がり社員の年齢も同じく上昇しています。
そして業績はといえば、社長の輝きが薄れるとともに、過去の面影がなくなってしまいました。
その当時に期待できた金額での会社売却は殆ど不可能と思われます。
平等は時として残酷な結末を招くということを見せつけられた事例でした。
(2021年10月26日更新)
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)