地方で誕生し、積極的な事業所展開や企業買収を行い、全国的な会社に成長させた創業者の事業承継物語をご紹介します。
創業者の強烈なリーダーシップがこの会社の成長の源でした。
しかし、その裏側には、単なるワンマン経営ではなく、その事業意欲を陰で支えてきた次女の配偶者の存在がありました。
社長の子どもは女性ばかり3名。
3名ともそれぞれに家庭を築き、その家族の中で会社に関わっていたのは、次女の配偶者だけでした。
事業拡大を行うには、絶えず資金調達がつきまといます。
その役割を担ったのが次女の配偶者で、将来はこの人が後継者であろうと、周りは誰もが思っていました。
現にM&Aで買収した子会社の社長に就任させ、経営を学ばせるという帝王学も進めていました。
ところが、時に現実は恐ろしいものです。
次女の配偶者が不治の病に侵され、余命いくばくもないことが判明したのです。
当人ばかりか、社長の落胆も傍から見ていられないような状態でした。
このような状況でも、事業は続けていかなければなりません。
しかし、取り巻く状況は決して明るいものではありませんでした。
社長は70歳代半ばを過ぎ、交代時期に待ったなし。
社員に有力な候補もおらず、成長を待つ時間も厳しい状況でした。
そこで社長が出した結論は長女への承継でした。
長女は芸術系の大学を出た後、まもなく結婚して専業主婦になっており、経営には携わるどころか、全く接したことのない素人同然でした。
しかしこの長女には親譲りの根性が備わっていました。
後継者に指名されるや、猛烈な勢いで経営を学び、数年で社長が納得する経営者に成長し、安心して社長交代となったのです。
日ごろ親の生き様を見聞きしていたからこそ、自然と経営の感覚が身についていたということもあったでしょう。
もちろん、長女をサポートする人材が社内にいたという事実も見逃すことができません。
社長が交代してからはや20年が過ぎようとしています。
今の経営ぶりは誰も異論をはさむ余地がありません。
その活躍は自社内だけに留まらず、地域の女性経営者の指導的な地位にもあり、他の会社の女性社長からも慕われています。
20年前はどうなることか思われました。
どうしてどうして、というのが素直な感想です。
ただ、女性だからという選定基準は全くの間違いであったということです。
当時親しくしていた次女の配偶者の不幸は痛恨の極みでありましたが、今では胸をなでおろしているのではと思えます。
(2017年9月26日更新)
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)