第47話「『守破離』で事業転換した後継者」|事例に学ぶ 事業承継|【公的機関】事業承継プロジェクト|大阪の中小企業支援機関。 大阪産業創造館(サンソウカン)

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事例に学ぶ 事業承継
事業承継相談員が見聞きした事業承継にまつわる「うそのような本当にあった出来事」をシリーズで紹介していきます。
ただし、みなさまに問題点をわかりやすく考えていただくため、少し脚色しています。その点はご容赦ください。
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第47話「『守破離』で事業転換した後継者」

その3代目社長と初めて名刺交換した時、私の発した言葉は、「あれ、社名と事業内容が合いませんがな」でした。
「創業時の事業内容を社名につけていたのだけれど、数年前に事業を転換したんだ。でも、社名は創業者の祖父や2代目の父の想いが詰まっているので、そのままにしているんだ」という返事でした。

その事業転換について詳しく教えてもらうと、まさに武道や茶道でいうところの『守破離』そのもので、次のような経緯を辿ったということでした。

『守』
社長は学卒後しばらく他社で働いた後、家業の当社に入社しました。
当時の事業は、明治時代の創業以来変わっておらず、家具製造に使われる部材を製造し販売していました。
明治以降、当時までの家具業界は、いわゆる婚礼家具が中心で繁栄していました。
当社の業績も比較的順調でしたので、社長もまずは家業の業務を覚えることに専念しました。

『破』
営業で多くの得意先を忙しく回る日々でしたが、市場に微妙な変化を感じるようになりました。
昭和30年代の公団住宅(元『住宅都市整備公団』、現在の『UR都市機構』)を皮切りに、分譲マンションなど集合住宅が多く建てられるようになり、婚礼家具の需要に陰りが出始めていたのです。
集合住宅向けの家具がまだまだ出回っていないことに気がついた社長。
当時は一営業社員でしたが、2代目社長であった実父に集合住宅専用家具メーカーへの業種転換を提案しました。
その時点では、従来の事業もまだ満足できる収益を計上していました。
しかし、当時の社長も熟慮の上、その提案を受け入れ事業の転換を決意しました。

『離』
集合住宅向け家具の販売は、従来の販売ルートに頼ることにはなりましたが、時流にも乗り順調に事業が立ち上がり需要が拡大していきました。
そこで次に取り組んだのが、直販への進出です。
まずは主要都市にショールームを開設し、直接消費者に訴えかけることにしたのです。
好反応を得た3代目社長(この頃には社長に就任していました)は、直販店を展開することにしたのです。
こうして直販に乗り出して20年あまりが過ぎましたが、ほぼ毎年一店舗をオープンさせ、20店舗を構える、集合住宅専用家具を製造から販売まで手がける企業に育て上げたのです。

事業を大きく転換させてきた中心人物は3代目社長ですが、創業者である祖父、そして前社長である実父の事業に対する想いを失うことなく、時流を敏感に感じ取って経営されてきたのです。
そこには、決して安易に経営の舵を切るのではなく、過去の中に次なるステップを見出した社長の慧眼があり、いつも尊敬の念をもってお会いしています。

(2017年10月24日更新)

担当:田口 光春(タグチ ミツハル)

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