かれこれ20年以上前に起きた悲しいお話です。
ある精密機器メーカーは祖父の代に創業し、その後父、そして30歳代の働き盛りの次男が3代目を継ぎました。
その若き社長は、日本国内の大学・大学院にて経営学で名の通った先生に師事し、MBA(経営学修士)の学位を修めていました。
恩師から大学に残るよう強く勧められていた一方で、父親である前社長からは会社に入って、後継者になることを希望されていました。
会社を継ぐには相当の悩みがあったと思いますが、私が面識を持ったころは、父親である2代目社長の補佐役の役員として、大学で学んだことを実践に移すということに勤しみ、希望に満ちた雰囲気を漂わせていました。
2代目の父親もそうした学歴を持つ息子には大きな期待を寄せ、理系の大学院を終えた技術者の兄を差し置いて後継者にすることとされたのです。
もちろん兄の処遇にも気を配り、本人納得の上、技術分野の責任者にすることとしていました。
次男が入社してからは、その当時社長であった父親自らによる帝王学が授けられました。
社会人経験が無いとはいえ、経営を専門とする学びを受けていましたので、社長の言われることに戸惑うこともなく、時には社長の気がつかないような考えも提案するようになっていました。
そして予定通り後継者として次男を社長に指名し、経営トップの交代は円満に終わりました。
ここまでなら、めでたしめでたしで終わり、本コラムの題材にはなりえません。
しばらくすると3代目社長に色々な問題が浮き彫りになってきたのです。
父親が社長のときはその影に隠れて表に出なかった事実が明らかになってきました。
特に致命的と思われたのは、対人接触が苦手なことでした。
社員とすら顔を突き合わせて話をすることを避けようとされたのです。
それを補う手段として、当時普及し始めていた電子メールを頻繁に使われたのでした。
新しい技術をいち早く取り入れたことは評価できますが、その理由には賛同できかねます。
その結果、ますます社員との距離が離れました。
そして社員に面と向かっては言えないような事もメールという媒体なら言えるため、今ならパワハラとして問題になるようなこともされるようになったのです。
困り果てた社員は、会長となっていた父親に助けを求めました。
事実関係を調べていくと、3代目社長にかなり問題があることが浮かびあがってきたのです。
戸惑いを覚えた会長が多くの知人・関係者に意見を求めたところ、多くが3代目を更迭させた方が良い、という意見でした。
そして3代目社長を解職、長男を社長にされたのです。
その時の2代目社長(会長)の気持ちたるや正に、「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」であったろうことは語らずとも推察できます。
同じような事例は第5話でも紹介しています。
両話とも父親である前社長が正常な判断ができる状態で、なおかつお目付け役として会長と言うポストにいたことが、事を大きくしなかった要因であることに間違いありません。
正に不幸中の幸いでしょう。
(2020年12月22日更新)
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)