最近、「ベンチャー型事業承継」という言葉が使われ、新たな事業創出の支援策も出てきています。
今回ご紹介するのは、既に半世紀以上前から、それも複数回に亘り、新たなチャレンジをしてきた企業です。
ある地域で一世紀を超える歴史をもち、創業者から数えて現社長が4代目になります。
会社は、地場産業である特産品を製造するための設備を製作し、修理することを目的として創業されました。
初代、2代目までは、その特産品に国内で安定的需要があり、事業は順調に推移していました。
しかし2代目から3代目(現社長のお父様)に事業承継する時期には、地場特産品に代わる新しい素材が開発され、先行きが不透明になってきていました。
そこで3代目は今までの事業も行いつつ、近くに進出してきた大手企業の下請けとして部品加工を手がけました。
そして数年後には部品加工だけの会社に転換されたのです。
そして続く4代目の現社長の話です。
現社長は大学で法学部を選択し、将来は広告業界での活躍を夢見ていました。
しかし、卒業を間近にしたある日、3代目社長・父親に病気が見つかったのです。
命に別状はないものの、社長の激務をこなしていくことは困難でした。
しかし、社長職を代行する人材はいませんでした。
そこで、長男であった現社長は内定していた広告代理店への就職を辞退し、故郷に戻ることにしたのです。
いざ経営に関わってみると、当時手掛けていた部品加工の将来が、期待できない状況にあることがわかりました。
一方で、当地は先端技術に関わる産業が集積しつつあり、現社長はそれに着目しました。
しかし、文科系大学を卒業した社長です。
技術のことはさっぱり(本人の言)でした。
そこで、地元の大学や公的研究所などに日参し、理解を深めていきました。
会社が取り組める分野を絞り込み、取引候補先にも飛び込んでいき、教えを請いました。
そのエネルギッシュな姿と熱意に、ご本人から聞いただけで興奮したものです。
同時に、将来を担う人材の確保にも奔走し、自分の弱点を補ってくれるスタッフを確保して体制を整えていきました。
そうした活動から四半世紀以上、現社長は地元経済界で一目置かれる存在となるとともに、会社を世界でも注目される企業へと飛躍させています。
この事業承継では、事業転換させた現社長だけでなく、先代の対応にも感心しました。
ある意味、自分が行ってきた事業を否定されているのですが、それを認めて次に託した姿勢です。
社長とご両親(先代)が同席する場に立ち会いましたが、既に相応の成果を築いていたとはいえ、ご両親が息子(社長)を信頼して優しく見つめる眼差しに、会社の強さを感じずにはいられませんでした。
会社が長く続くということは、大なり小なり何らかの変革が行われてきた結果なのです。
その変革は事業承継の時期が最も良いタイミングということを、多くの事例が教えてくれています。
(2018年3月27日更新)
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)