ベンチャービジネスという言葉がまだなかった1930年頃に、大学での研究成果を事業化すべく創業した会社の話です。
問題は創業者の孫が3代目に就任する時に起こりました。
ある日、前社長が私どもの元に経営に関する相談ということでお越しになりました。
曰く、長男(現社長)は、前社長夫婦の反対を押し切り芸術家と結婚し、妻に振り回されて海外での生活を選んでいる。
現地法人を設立し、会社の製品を販売しているようであるが成果が見えていない。
この結婚には母親である前社長の妻も反対し、嫁姑の関係も極めて険悪である。
ついては管理部門を統括する次男に社長を譲ろうと思っている、とのことでした。
この話を聞く限りにおいては、私どもも長男の経営者としての心構えには疑問を感じました。
また、次男は国内の大学ではあるがMBAの学位も取得しており、後継者として問題ないのではと思われたのです。
ただ、一方だけの情報で判断するのはまずいと思い、長男と会って話を聞く機会を設けることにしました。
長男は妻の要求で海外生活をしているが、会社の将来を考えれば海外展開が必須であると考えており、留学経験もあるので、現在はその人脈で販路開拓の途上である。
日本の本社には信頼置ける人物を配すれば、インターネット環境が整備された現在では意思疎通には問題ない、といった説明を受けました。
やや無謀な考えではないか、という感想が本音でした。
しかし、その後情勢が大きく変わったのです。
前社長が信頼していた次男に問題があることが発覚しました。
業績、職務遂行状況、業務上のミスなどへの過剰な叱責、暴言などメールを使った社員へのパワハラまがいの行為が行われていたのです。
社員からの信頼を失った次男は退職を余儀なくされました。
しかし、この事態になっても前社長は次男に期待をかけていました。
もう少し自分が社長を続け、次男が新天地で修業を積んで経営者に相応しくなって戻ってくるのを待ちたい。
長男にはどんなことがあっても社長を譲りたくないと公言されていました。
そこには父母の情と嫁姑問題が見え隠れしていました。
一方の長男は事業承継に意欲マンマンで、新たな事業展開のプランを構築し、父である社長に禅譲を迫ったのです。
将来の株式譲渡も計画に織り込んで。
こうした動きに私たちも取引金融機関も巻き込まれることになり、双方の言い分の聞き役、仲介役とならざるを得なくなったのです。
その結果私たちが出した結論は、長男への承継でした。
それを受け入れた前社長は会長職などにとどまることはなく引退を選択されました。
それから10年近く過ぎましたが、会社の状況といえば、新社長のプランに従ってグローバルな展開にまい進しています。
その意味では事業承継に成功したと言えましょう。
では、いったいあの一連のゴタゴタはなんだったのでしょうか。
巻き込まれた側からの感想は、事業の承継の前に親子関係、特に嫁姑問題があったことが、事業承継問題を複雑にし、要らぬ役割を押し付けられただけであったということです。
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)