創業オーナー経営者の話です。
この社長のお子さんは娘さんだけでした。
70歳を過ぎ経営者交代の時期を迎えた社長は、長女の夫を社長に指名し、自身は会長に就任しました。
しかし、会長になったものの社長の時と何ら変わらず経営の実権を握り続けました。
社長との役割分担が明確になっているうちは、会長が最高意思決定権者であっても何ら問題ありません。
しかし、この会長の行動は少し違いました。
婿を本心から信用せず、血のつながった孫に期待を寄せるようになったのです。
世間でいう一流大学を出て、大手上場企業に勤務していた孫を会社に入れ、帝王学を始めました。
それも会長室を会社事務所とは違う場所に設けて行ったのです。
日々の事業活動は会社で行われていますから、運営上の指示命令は社長が出していました。しかし、実権を譲ったと思っていない会長は、たびたび業務に関しての指示命令を違う場所にある会長室から発していたのです。
それは会社の現状を認識した上で発せられるものではなかったため、社内に混乱を招くだけとなったのです。
まさに二頭政治の極みと言えるでしょう。
そこには、年齢からくる経営感の衰えも加わっていました。
人間にとって年齢を重ねるごとに活力が衰えていくことは定めで、経営者の場合、それが企業活動にも影響を与えるのです。
帝王学を与えられた孫も不幸でした。
実際に事業が行われていない場所での帝王学。
それは実践が伴わない机上の空論だからです。
会社の人たちとのつながりもできず、事業の実態も理解できないのですから。
事態が正常化したのは会長が亡くなってからでした。
しかしこの二頭政治が行われた失われた数年間が重くのしかかり、同社は超優良企業からあたりまえの企業になってしまいました。
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)