今回の事例は、親族での承継ができなかった話です。
その会社とめぐり合ったのはほぼ半世紀前。
当時は創業者の社長が健在で、まさに脂の乗り切った経営者といった感のある状況でした。
しかし、その社長には事業に関与する子どもがなく、後継者と目される人物が見当たりません。
会社の将来にとって大きな不安となっていましたが、それを避けるべく株式上場して会社をより公器なものにすることで問題の解決を図ろうとされておられました。
そこを襲ったのがバブル経済の崩壊でした。
会社の事業内容が建設関連であったため、その影響は甚大で、株式上場計画は業績の大幅な後退とともに雲散霧消してしまったのです。
もともと実力のあった会社でしたので、会社の根幹を揺るがすまでには至りませんでしたが、株式公開計画は振出しに戻ってしまいました。
その後リーマンショックなど大きな経済変動があり、さらに業界そのものの成長性にも大きな制約がかかり、現在に至るまで当初目的の株式上場は果たせていません。
一方で創業社長も年齢を重ねていきました。
そこで、株式上場による事業承継はいったん棚上げにして、社内承継の道を探ることにされたのです。
後継社長については、上場準備の段階で経営状況をオープンにし、主要な幹部を積極的に登用していたので、人材には悩む必要はありませんでした。
そのような中で課題となったのは、創業社長の相続問題です。
こどもは会社に関与していない女子一人でしたので、争いの可能性はほぼゼロですが、相続税の問題が残りました。
株式上場は難しくても、業績はそれなりに挙げている会社でしたので、自社株の評価は高くとも換金ができず、税金の調達に苦労することが見込まれました。
そのため、相続が起きた時に社長が保有していた株式を会社が買い上げるよう事前に社内で合意がなされていました。
自社株式を会社が購入するには財務上の条件はもちろんのこと、購入資金、現金が必要となります。
そこでメイン銀行に協力を仰ぎ、その時に借入できるよう事前に内諾を得ておかれました。
そして創業社長が健在なうちに会長となり、最初の同族外社長を指名して経営させ、それをサポートすることで、脱同族を円滑に進めていかれました。
その後、世の習いに従い創業社長は黄泉の国に旅立たれました。
ですが経営そのものは既に社長職を交代されていましたので、何ら問題はありませんでした。
そして残されたご遺族の相続税に関しては、打ち合わせ通り会社株式を会社が買い上げることで問題も出ませんでした。
残された課題は後継の経営陣が安心して経営できる体制、つまりは株式構成の問題です。
相続税の問題はクリアしましたが、相変わらず筆頭株主は創業社長のご遺族でした。
それについても、創業社長はご健在な時に、会社を継いでくれる人たちが安心して経営できるように協力するよう、ご遺族に伝えてあったのです。
それに従い、ご遺族は持ち株を役員持株会、従業員持株会や懇意にされている取引先に譲られました。
しかも、役員・従業員持株会には税務上許される特例的評価方法を採用してかなり安価に、取引先には法人税法上の算定価格で、税務上許されるまでディスカウントして譲られたのです。
こうしたことができたのも、創業社長の存命中の配慮の賜物と、ご遺族の創業社長と会社を思う素直な気持ちの表れた結果なのです。
残念ながら業績は株式上場するにはもう一歩といった感じで、決して悪い数字ではないものの株式上場には至っていません。
しかし、創業社長から数え社長は4代が過ぎました。もちろん2代目以降は創業家ではない非同族です。
それでも問題なく経営できているのは、創業社長の会社を公器と思う気持ちがみんなに理解されているからでしょう。
(2021年6月22日更新)
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)