第98話「信頼した仲間の裏切りにあった承継話」|事例に学ぶ 事業承継|【公的機関】事業承継プロジェクト|大阪の中小企業支援機関。 大阪産業創造館(サンソウカン)

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事例に学ぶ 事業承継
事業承継相談員が見聞きした事業承継にまつわる「うそのような本当にあった出来事」をシリーズで紹介していきます。
ただし、みなさまに問題点をわかりやすく考えていただくため、少し脚色しています。その点はご容赦ください。
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第98話「信頼した仲間の裏切りにあった承継話」

今から20年以上前、創業10年足らずの機械部品の製造会社で起こった事業承継の顛末です。

扱っている製品は特段目新しい物ではありませんでしたが、創業者の社長が考案した製造プロセスで先行業者が驚くほどのコストダウンを達成し、市場で一定の地位を固めつつある段階にありました。

会社には創業間もない時期から経営をサポートしてくれている、社長と同世代のいわゆる参謀が専務取締役としていました。
生産販売という事業の中枢は社長とその専務が担い、経理や総務といったいわゆる間接部門は社長の妻が取締役として担当し、鼎(かなえ)の関係で事業運営を円滑に進めていました。
また、その参謀にはわずかばかりでありましたが自社株を譲っていたほか、外部で行われる経営幹部の研修には本人の希望も聞きながら積極的に参加させていました。

さらなる飛躍を期して打った次なる布石は新工場の建設でした。
当時の業績では重すぎる借り入れと周囲から思われましたが、まさに社長の打った乾坤一滴の策で、社長の中にはバラ色の将来が描かれていました。

このように前途洋々とした時期に、とんでもない悪夢が待っていたのです。
それは50歳代半ばの社長を襲った不治の病でした。
余命を宣告される状態であったのです。

さあ、会社の将来をどうしていくかが大きな課題となりました。
社長夫婦にはこどもがなく、もしいたとしても社長の年齢からしてまだそれを背負える年齢には達してはいなかったのです。

でも、この文をお読みの方は、一緒に経営していた参謀がいるではないかと思われるでしょう。
当時、私を含めた周りも殆どがそう思ったはずです。

ところが、その参謀は社長に就任することに怖気つかれました。
多額の借入に対する経営者保証の存在がそこにあったのです。
昨今は国の施策として、事業承継時に経営者保証を外すことに対する支援を行っていますが、当時は未上場企業の借入に経営者保証が必須なものでした。

それを避けるために専務は逃げるようにして取締役を辞任し、会社を去っていったのです。
持っていた株式もタダ同然で会社に引き取らせて(当時自社株を会社で所有することは法律上できませんでしたので、法律違反を承知の上で)。

その結果、後継者には妻がなるという選択肢しか見つかりませんでした。
そして社長が亡くなり、妻が社長に就任しました。
社内には日常的な業務を任せられる人材はいましたが、経営レベルを語り合える補佐役がいませんでした。
しかし、夫婦は外部の人望が厚く多くの支援者がいたことで、何とか新しい船出を迎えることができました。

新社長である創業者の妻の頑張りはもちろんのこと、社員も危機感をもって新社長を支え、外部の支援もあって、その後の事業は想像以上のものがありました。
危惧された多大な借り入れも、順調に返済することができました。
そうした結果を知れば、去っていった専務はどう思ったでしょう。
音信がないので、それを知るすべはありません。

その後20数年が経過しましたが、社長はそのままです。
70歳を過ぎましたが明確な後継者も見当たりません。
株式の大半は社長が保有したままのため、もしものことが起きたら大変なことが予想されます。
それは社長の相続人が兄弟か代襲相続人である甥姪たちになり、その人たちに経営権が移ってしまいます。
その人達が良き理解者であればいいのですが。

まだまだ一波乱、二波乱が予想されますが、どうか円満に事業が引き継がれることを切に祈るのは私だけではないでしょう。

(2022年3月22日更新)

担当:田口 光春(タグチ ミツハル)

「負債を任せられるのは親族以外に見当たらない」
「一難去ってまた一難、事業承継は永遠の経営課題」

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