一代で年商100億円企業を育て上げられた創業者と、その会社の事業承継を紹介します。
私がその会社を知った時、創業者はすでに引退しており、故郷の地域おこし支援に転身されていました。
信頼のおける役員を社長に指名し、会社の役職を辞退され、まさに潔い引退劇でした。
徐々に役員、社員に株式を譲渡されたのと外部の安定株主を迎え入れ、自身の影響力を極力抑えられていたのですが、絶対的な決議権を持たないままでも、筆頭株主であることには変わりない状態にありました。
就任まもなくの二代目社長と懇談する機会がありましたが、そこで話されたのは創業家への配慮でした。
創業者は会社運営からは完全に引退されていましたが、一族外の二代目としてはやはりリスペクトすべき人として気になっておられたのです。
創業者には子息が一人いるのですが、その人は学者として一定の地位を築かれており、当社経営には興味を示されていませんでした。
それが脱同族の根幹であったのです。
創業者を気遣う二代目社長に、創業家から非常勤の役員を迎え、月々の役員会に出ていただくようお願いしたら、と提案しました。
しばらくして社長にお会いした時には、
「創業者の息子さんに非常勤取締役に就任してもらい、月々の役員会に出席いただいている」
「特に発言はしないが他の役員にとっては緊張感が高まるため、役員会が有意義なものになっている」
との報告を受けました。
ここで収まればハッピーエンドの話です。
しかし2年ほどしたある日、2代目社長が訪ねてこられ、驚くべき話をされたのです。
それはご自身が不治の病に罹り、余命半年であることでした。
それから半年後にお亡くなりになりましたが、その間に今後のことをすべて整え、後継には信頼する役員を指名されていました。
三代目社長も創業者に薫陶を受けた人で、二代目に劣らず安心した経営ぶりでした。
しかしこの三代目にも病魔が襲ったのです。
何ということでしょうか。
社長に就任してわずか2年で亡くなられました。
四代目も社内から選ばれました。
しかしこの方は、創業者から直接経営を学ぶ機会には立ち会うことがない年齢だったのでした。
その結果、年商100億円、従業員200名を超える企業を導いていくには荷が重すぎました。
周りの人たちにいろいろアドバイスをもらって何とか凌いでいた折に、大手企業からの買収提案があったのです。
そこで役員はもちろんのこと、創業者にも相談されました。
その時の創業者の意見は、
「既に経営については皆さんにお任せしているので、皆さんの判断で決めてください。」
というものであったのです。
そして持っている株式についても決定に従った扱いをしますとのことでした。
現在では大手企業の子会社として、ますますの隆盛を極めています。
創業者が脱同族の意思を貫かれたからこそ、子会社とはいえ会社が存続できたのではないでしょうか。
(2022年2月22日更新)
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)