創業50年を超える精密機械メーカーの話です。
社長は創業者の息子で2代目。
既に創業者は他界されており、2代目社長から3代目への事業承継もそろそろといった時期に差し掛かっていました。
創業以来、高い収益力を誇っていましたが、その背景には、数多くの特許を取得するなど高い技術力を誇っていたこと以上に、創業者から続く人を重んじる経営姿勢が本質にありました。
従業員はもちろん、取引先をはじめ、地域社会の人たちに至るまで、会社に関わる人たちを大切にすることを経営の柱とされています。
その表れの一つとして、株式も従業員に持たせ、決算もオープンにしていました。
事業承継については、2代目の長男が他社勤務を経て20代後半に入社しており、自他とも認める後継者候補でした。
入社してからも社内の主要部門を経験するとともに、外部の後継者セミナーなどにも積極的に参加し、その資質を磨いていました。
あと数年したら社長交代だろうと誰もが思っていた時、突然、社長交代が発表されました。
社長に指名されたのは取引先の社長経験者でした。
会社の成長に外部から弛まぬ支援をしてくれていた人物で、第38話にあるような同族間の問題で経営を離れることになったのを社長が聞きつけ、三顧の礼をつくし引き受けてもらったということでした。
周りは「なんで?」といったのが感想でした。
後継予定の息子も40歳前で、後継者としての準備が万端だと思われていたからです。
この人事の裏には、当時の会社の業績に問題はなかったものの、以前のような力強さが見られなくなってきたことに対する社長の危機感がありました。
こうした厳しい状況をどのように乗り越えていくかを後継者に傍で直に感じ、どのようにサポートしたらよいかを経験してもらいたいという親心があったのです。
親子間ではどうしても甘えが出てしまいがちなので、ある意味ショック療法的な人事でもあったのです。
この人事があって5年。
業績も再浮上の波に乗り、2代目社長の息子と社長交代となりました。
もちろん人を大切にする会社であることは変わらず、外部から招聘された前社長も落ち度のないように遇されました。
創業者の人を大切にする経営をされてきた想いが、後々の事業承継にも生かされていたという事実に、温かい気持ちになれたのは私だけではないでしょう。
(2018年1月23日更新)
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)