10数年前に出会ったとある社長のご経験です。
創業100年になろうかという歴史のあるメーカーを経営されていました。
事業もすこぶる順調な様子で、その秘訣や今後の事業の方向性をお聞きすると、楽しそうに披露してくれました。
しかし、話題を変えて事業承継についてお聞きすると、声のトーンが急に落ちてしまいました。
その時の社長の年齢は50歳代。
父親は経営者としてはほぼ引退されていましたが、代表取締役会長でした。
声のトーンが落ちた理由に踏み込みますと、次のような話をしてくれました。
事業を長く続けていると時代と合わなくなり、いわゆる斜陽産業と言われるようになります。
当社もそうした兆候が徐々に見られるようになってきた。
40歳代前半に社長に就任したときは、会社の将来に期待が持てる状況にはなかったそうです。
そこで社長が取り組んだのは、事業領域の見直しでした。
自社の特徴、強みを生かしながら、新しい分野に挑戦すること10数年。
お話を伺ったのは、ようやくその成果が表れてきたころでした。
そうした結果は社長が中心になって行ったものである、と誇らしげでありました。
まさに中興の祖といった感じです。
ですが、それでもなお、将来について不安なことがあるとのこと。
それが事業承継、つまり将来の経営体制についての不安でした。
社長は会長の長男で、弟2人がそれぞれ専務と常務に就任していました。
この弟2人は異母弟であり、経営に対して取り組む姿勢も満足できるものではないと感じていました。
そして、この時点で会社の株式の殆どは会長、つまり父親が握ったままでした。
もし相続が発生すると、社長は義母と弟2人を上回る持株を確保することは難しい。
何とかして会長健在のうちに対策を打ちたいが、そうした話をしても聞き入れてくれず、将来に不安を持ったままで経営しているのが現状でした。
以上を寂しそうに話していた社長の姿を思い出します。
気にはなっていたものの、その後お会いする機会がなく時が過ぎました。
久しぶりに会社のホームページを訪れてみたところ、社長が交代していました。
当時の社長は取締役相談役となり、次男が代表取締役社長、三男が代表取締役専務、そして父親が健在のまま取締役会長という布陣に代わっていたのです。
当時の社長の立場を考えると、おそらく経営への関与はほぼされていないことでしょう。
まさに当時の社長が恐れていたようになっており、無念さが伝わってくるようなホームページの案内でした。
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)