今から10数年前に出会った、一代で世間が注目する食品製造会社を育て上げた社長の事業承継の話です。
社長は当時60歳を若干超えたあたりでした。
後継者の候補には社長の実子と側近の役員がおり、両者の年齢はほぼ一緒の40歳前後でした。
どちらを本命とするか悩んでおられた時と筆者との面識をもった時がほぼ同時でした。
社長に本心を訪ねると、
「経営者の資質から見ると役員の方で、その後息子というのが良いのだが。」
とのことでした。
そこで筆者は、
「しかし同族外に引き継がせるには、銀行の個人保証がネックにはなりませんか?」
と社長に質問したところ、
「それくらいの覚悟をもってくれないと、後継者としては満足できないが、あの役員なら問題なく引き受けてくれると思う。」
と自信満々の答えを返されました。
その自信の裏を探ると、株主は社長ほぼ一人でしたが、会社では毎年の決算が出る際に、社員も含め関係するところ全てにその報告をされていたのです。
そのため、後継予定者の役員も会社の実情を理解していたのでした。
その上に立って、役員は経営者を個人保証ともども引き継ぐことを躊躇しないであろうと社長は判断していたのです。
後継者からよくされる相談で、会社の実情が知らされていないが、どうしたらよいか、というものがあります。
残念ながらその質問に対する回答はありません。
社長が内容を明らかにしてくれない限り、どうしようもないからです。
また、経営を引き継いだところ、相当悪い経営状態であることが分かったという悲惨な話もあります。
そうした事例とは正反対の事例が今回の話です。
企業を経営していくうえで、無借金経営は理想ではありますが、それを達成することは至難の業です。
また前向きの借入は評価こそされて問題視されることはないのです。
そのためには絶えず会社の実情を明らかにしていくことで、後継候補者も安心して名乗り上げることができるのです。
それ以前に会社の業況が順調であることが条件でもありますが。
その後間もなくして社長の座を、側近だった役員に譲られました。
そして本人は会長や相談役になることもなく、単なる取締役として実務から一歩退いた形で新社長をサポートされています。
ただ、保有していた株式もいずれ新社長に応分の割合で持たせたいとの考えを持っていましたが、譲渡価格が高額で多額の資金を必要とするためそれは実現できないでいます。
一方、今回は社長に就任できなかった実子ですが、父親の考えを詳しく聞いて納得し、新社長の補佐役として頑張っておられます。
出会った10年前に比べると成長の跡が感じられ、次の社長に指名されても問題はないでしょう。
この事例で深く感じたのは、会社の実情を正直に知らせておくことは、外部に対する会社の信頼性を高めるばかりではなく、事業承継を円滑に進めるためのキーとなるということです。
(2021年1月26日更新)
担当:事業承継相談員 田口 光春(タグチ ミツハル)
事業承継に必要な準備へのアドバイス、また行動のためのサポートを行っていきます。経営者・後継者どちらのお立場の方でも、お気軽にご相談下さい。