第87話「オーナー経営を放棄した3代目」|事例に学ぶ 事業承継|【公的機関】事業承継プロジェクト|大阪の中小企業支援機関。 大阪産業創造館(サンソウカン)

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事例に学ぶ 事業承継
事業承継相談員が見聞きした事業承継にまつわる「うそのような本当にあった出来事」をシリーズで紹介していきます。
ただし、みなさまに問題点をわかりやすく考えていただくため、少し脚色しています。その点はご容赦ください。
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第87話「オーナー経営を放棄した3代目」

事業承継の多くの事例を見てきて思うことは、直系、特に経営者の子息・子女に承継することが一番いい選択であり、殆どの場合で大きな問題もない事業継続の王道だということです。

一方、そうした事例に反して王道であったはずがうまくいかなかったケースをたまに見てきました。
この事例集の第2867話にもそうしたケースを紹介しています。
今回の事例もそれに近いものがあります。

その会社と面識ができたのは40年ほど前。
先の大戦前に創業された建築資材卸を営む会社で、ほぼ50年続いた創業者経営から、その長男が2代目経営者になって間がないときでした。
創業者は存命中でしたが、高齢のため長男に経営を譲った後は殆ど会社に顔を出すこともなかったので、お会いすることはかないませんでした。

当時はインターネットが開発されるか否かの時期で、事業で使われることはなかったため、当社のような問屋機能は経済活動には欠かせない存在でした。
そのため、2代目社長も創業者の築いた事業基盤をベースにして、営業エリアを拡大されていったのです。

そうして迎えたのが2代目から3代目への事業承継。
幸いなことに2代目の長男が会社に入り、後継者として育てられていました。

しかし、よくある3代目の甘さが感じられ、経営を知ろうとする、先代から学ぼうとする姿勢に欠けていたのです。
はたして後継者として安心できると周りのすべての人が思っていませんでしたし、なんとなく仕事に身が入っていないような気がしていた私もその一人でした。

3代目社長に就任すると、2代目の父親は先代と同じように隠居生活に入られました。
3代目は、しばらくは2代目の経営の仕方を引き継いでいました。

そのうち先代の監視の目が遠のくと、会社経営から興味を失い、徐々に自分の思いや3代目夫婦の思いが表に出るようになったのです。
それは夫婦共通に興味のあるファッションの世界に進出することでした。
そして会社近くでブティックの経営をするまでになったのです。
しかしそれは興味本位からの事業で、その業界の研究や経営に関する学びが抜けていました。

それでも本業が順調であったので、多少の齟齬は隠すことができました。
その結果、3代目夫婦は失敗の痛みを感じることなく、なんども失敗を繰り返すようになっていったのです。

度々の資金の持ち出しに周りから疑問の声が出始めました。
社内からは声を上げにくかったのですが、仕入・販売先である取引先や金融機関などが社長に忠告するようになったのです。

事業は創業者、2代目が築いた基盤がある上に、当時勃興しつつあったネット販売で厳しくなる環境にあっても、それに反する昔ながらの販売方法が重宝され、全国に営業所を展開するに至っていましたが、それらは社長抜きの社員が築いた結果でした。
仕入先もそうした販売網は大変価値のあるもとして、経営の不始末でそれが無くなることを恐れたのです。

そして銀行などの後押しもあり、最も取り扱いの多い重要な仕入先から一族の株式をすべて買い取りたいとのリクエストでM&Aの申し込みがありました。
その際、3代目社長には経営から退くよう求められたのです。

周りを固められていた3代目には対案を提示する余裕すらも与えられませんでした。
その結果、すべての株式をその取引先に譲り、経営から退いていきました。

しかし、その会社は現在でも創業家の名前を社名として使っています。
それだけ業界で一定の地位がある会社である証拠であり、3代目はそこに気がついてはいなかったようです。

黄泉の国から自分が作り上げた会社の行く末を見た創業者はその経緯をどのように見ていたのでしょうか。
ただ、創業の思いと社名に創業家の名が残ったことに少しは安心されたかもしれません。

その後の3代目の動向は聞こえてきません。
ひょっとすると適切な後継者教育を受けられなかったということで彼は被害者なのかもしれません。

(2021年4月27日更新)

担当:田口 光春(タグチ ミツハル)

事業が順調だと後継者が勘違いを起こし易い。
創業家が経営を継続して行くには適切な後継者教育が鍵。

M&Aの準備もご相談ください!

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