第75話「所有と経営の分離は難しい?」|事例に学ぶ 事業承継|【公的機関】事業承継プロジェクト|大阪の中小企業支援機関。 大阪産業創造館(サンソウカン)

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事例に学ぶ 事業承継
事業承継相談員が見聞きした事業承継にまつわる「うそのような本当にあった出来事」をシリーズで紹介していきます。
ただし、みなさまに問題点をわかりやすく考えていただくため、少し脚色しています。その点はご容赦ください。
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第75話「所有と経営の分離は難しい?」

まもなく創業1世紀を迎えようとする金属製品製造会社の話です。
2代目から3代目に経営者が引き継がれたのは、40年近く前のことです。

2代目は創業者の子息で、順当な継承だったそうです。
しかし2代目の子供は娘さんだけでした。
そのような状況で2代目に病魔が見つかり、後継者の選定が急務となりました。

現代ならば女性経営者も普通の話ですが、当時は社長イコール男性という時代。
娘さんは対象外とみなされ、親戚縁者の中にも適任の人物は見つかりませんでした。
分家して本家以上の活躍をしている一族もありましたが、そちらにも適任の人は見つかりません。

そうした中で白羽の矢が立った人物がいました。
大学院も含め6年間、オーナー家が営むアパートで学生生活を送り、卒業後もオーナー家と親しく付き合いがあった人でした。
彼の出た大学は、いわゆる超一流といわれ、卒業後は大手企業に就職していました。
その会社で将来を嘱望されていることを承知の上で、2代目社長並びにオーナー家は社長を引き継いでくれるよう懇願されたのです。

初めは固辞されていましたが、オーナー家からの熱い思いを感じ取り、3代目社長就任を受諾されました。
まずは会社の実態を知るべく社員として入社されましたが、2代目社長の容体が日に日に悪化し、早めの社長就任となりました。
準備不足が否めないことは、周りの多くの人が感じていたところでした。

筆者が3代目社長との面識を持ったのは、就任されてしばらく経った頃でした。
学歴・職歴を事前に知ったうえでの面談でした。
就任後、時間もそこそこ経過しており、どんな経営をされて、どんな発言をされるのか大変楽しみにしていました。
ところが期待に反して、前向きな発言はなく、経営に対して熱いものが感じられなかったのです。
社内の空気にも活気が感じられません。
社長の口からは、「先代から受け継いだ事業を守り通していく」「オーナー家に心配をかけない」といった保守的な発言が多く出ていました。

創業から半世紀以上が過ぎて、事業の内容を見直す時期にも差し掛かり、社長の力量がより問われていました。
社長の持っている能力からしたら、そうした障害も難なく乗り越えられると思われていました。

しかし、社長の仕事振りを見聞きしていると、安全に財産を守り通すことが第一で、新たなチャレンジはできるだけ避けようとする姿勢が強く感じられました。
特に、新たな資金を使うようなことは、オーナー家のためにできるだけ避けたいという気持ちが勝っていたのです。

未上場企業での所有と経営の分離はいかに難しいか、特に経営を任された立場の経営者の立ち回りの難しさに出会った事例でした。
最近3代目から4代目へ、オーナー家ではない社内の人材から選抜されました。
結局、事業の継続はできたものの、3代目の経営では会社を成長させることはできませんでした。
言葉では「所有と経営の分離」などきれいな言葉で表すことができます。
しかし、実際その状況になると様々な課題があることを感じさせられた事例です。

(2020年4月21日更新)

担当:田口 光春(タグチ ミツハル)

「社長がオーナー家に遠慮してしまう状況では、会社は停滞してしまう」
「『所有と経営の分離』の成功には、オーナー家と社長それぞれが役割を発揮できる環境づくりが重要」

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