およそ10数年前のことです。
とある会社の社長が私を訪ねてこられました。
「70歳に近づいたので、社長を交代することにしました。
私には息子がいないが昨年結婚した娘の相手が年齢的にも丁度いいので、その者を社長にします。」
と、娘婿を紹介されました。
しかし、その面談は違和感を感じるものでした。
社長からは、後継者を決めた喜びや、重責を終える満足感といったものがうかがえなかったのです。
まもなくして開催された株主総会から、取締役会の一連の法的に定められた期間を経て、社長の交代が行われました。
社長は会長に、娘婿が新社長に就任されました。
それから数年を経て、会長にお会いする機会ができました。
そこで受けたのは、「私がまた社長に復帰しました。」という挨拶でした。
詳しく話を聞くと、社長交代の時に私が感じていたことが当たっていました。
娘婿に全幅の信頼を置けていなかったのです。
後継者は結婚してから入社したため、業界のみならず自社についても十分に理解されていませんでした。
これは仕方ない点もあり、社長を交代した当時は会長という立場でサポートすることを決めておられました。
しかし、後継者に欠けていたものが見え始めました。
先代や周りから経営を謙虚に学ぶという姿勢に欠けていたのです。
一方で、中堅企業の社長になったという自負だけは人一倍あったようです。
これが悪い方向へと向かい、社員の気持ちも後継者から離れてしまいました。
こうした状況を忸怩たる思いで見ていたのが当時の会長でした。
このままでは会社運営がうまくいかなくなる、業績も振るわなくなる、という危機感を持つようになったのです。
そこで、社長を更迭し、自ら社長に復帰する決断をなされました。
承継時の不安による対策で株式の移動は行っておらず、社長への復帰もスムーズに行えたのです。
娘婿は会社を去ることになりました。
後継者が先代の期待を裏切る事例は第5話でも紹介しました。
委ねた後に後継者の社長としての本質が分かることは、事業承継においてよくあることです。
だからこそ、社長を交代する前後の準備・育成の時間が重要になります。
本事例は、このような厳しい状況を打破するためとはいえ、「株式の議決権の数」の効力をまざまざと見せつけられた事例と言えます。
少しでも事業承継に不安があるときは、株主権でのリスクヘッジをしておくことも対策と言えます。
議決権のある全株式の過半数を保有する、黄金株(※)という優先株で人事権を確保しておく、といった手段も時には必要と、考えさせられた事例でした。
※黄金株=「拒否権付種類株式」と呼ばれる、株主総会や取締役会の決議事項について拒否権を持つ株式
(2020年8月25日更新)
担当:田口 光春(タグチ ミツハル)