ビジネスインキュベーションプログラム|大阪の中小企業支援機関。 大阪産業創造館(サンソウカン)

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CXとは「Customer Experience」の略称で、つまり「顧客体験」のことです。「どのような顧客体験を実現するのか」というのは、新規事業を考えるときの基点となります。どんな商品・サービスも、それ自体に価値が包含されているのではなく、顧客が体験したときに初めて価値として認識されるためです。
では顧客体験はどのように描けばいいのでしょう。単に顧客にとって良い体験とは何かをいきなり妄想して描くことは難しいです。仮に描けたとしても、それが事業として有効なのか、戦略に合致しているのかは分かりません。つまり顧客体験をDesignするとは、顧客体験を核とした事業システムをDesignすることに他なりません。
当連載ではCX Designをテーマとし、その要素をひとつずつ取り上げ、新規事業開発においてそれらをどのように考えていくべきかを解説していきます。

第3回事業目標 Business Goal

事業目標とはなにか

事業目標とは、文字通り事業がめざす目標であり、当たりまえ過ぎてその定義等について議論になることが少ないです。新規事業開発の際にも事業目標は当然立てるので、その重要性を話したところで、何をいまさらと思われるかもしれません。しかし実は「事業目標をどう捉えるか」ということこそが、顧客体験をデザインする際の生命線になります。新規事業を構想する際に顧客体験から描くことはよくあるアプローチですが、ともすると夢のような体験は大量に描けたものの、その良し悪しの判断軸を失い迷走することがあります。事業目標の立て方こそが、その根本原因です。

事業目標の描き方に定義などありませんが、多くの場合、大きく2つの側面から表現されます。ひとつは「なりたい姿」を言語で示す「ヴィジョン」です。ヴィジョンは、事業目的と具体的な戦略の間に位置します。「いつまでに自社がどうなりたいか」という意図を存在価値に基づいて示し、戦略に方向性を与えるものです。もうひとつは「なりたい姿」を数字で表す「目標数値」です。こちらも「いつまでに自社がどの程度の業績を収めたいか」という意図であり、言語で示されるヴィジョン達成が、業績においてどのようなインパクトをもたらすのかを可視化します。つまり「事業目標とは、自社がいつまでにどのようになりたいのかを、『言語』と『数値』の両面で顕したもの」と理解できます。

CXと事業目標

さて、CX Designにおける問題は、この「数値」をどのように描くかです。目標数値として最も分かりやすいのは、売上高でしょう。CX Designにおいて事業目標を描く時にひとつのポイントは、この売上高を「顧客に置き直す」ことです。つまり「いつまでにどのくらいの売上高を、『何人の顧客によって』達成するのか」を定めるということです。「売上高を顧客に置き直す」という考え方を、「顧客勘定(※1)」と呼びます。商品基点の売上高とはいうまでもなく、「いくらの何がいくつ売れたか」(商品販売数?商品単価)です。これに対して顧客基点の売上高とは、「何人の顧客がいくらの買い物を何回したか」(顧客人数?購入単価?購入回数)です。どちらから積み上げても、結果として得られる年間の売上高は等しいものになります。
(※1 出典:前田徹哉 著「顧客勘定マーケティング」(日経BP))

一見すると数字の表裏の違いしかないように見えますが、商品基点の売上高だけを旗印に顧客体験を描くことは相当に難しいことです。「商品ありき」で顧客にとって美しい体験をひたすら描くと、「商品を愛してもらうための追加サービス案の列挙」になることが多いからです。それは結果的に「販売管理費が増大する」という近視眼的な評価を受けて、コストカットの対象になりがちです。対して顧客基点の売上高を旗印にできれば、「年間を通じた顧客との関係性強化」がゴールになるため、商品は固定的な前提ではなくなります。新しい商品サービスや顧客接点の投入、あるいは1回目だけでなく2回目以降購入のための施策などが議論のフォーカスに入れやすくなります。

卸しを通して商品を販売しているメーカーは、事業目標を顧客数で立てることは現実的に難しいという側面もあるでしょう。それでも最初は推測であっても事業目標を顧客数で立てようとすることは、新規事業開発において発想のブレイクスルーを引き起こす可能性があります。例えばナイキはメーカーですが、すでに顧客数で事業目標を立てられる企業になりつつあります。御存知の通りナイキは顧客接点として複数のアプリを持ち、顧客と直接つながる事業(D2C事業)の売上は約40%に達すると言われています。一定数の顧客とのつながりがあれば、「1人あたりの顧客が何をいくら買い上げているか」という顧客基点での把握や推測も可能になっていきます。さらに言えば次にその顧客をどのように引き上げていくのか、という観点からの顧客体験も描きやすくなります。つまりメーカーでありながら、デジタルを前提として従来とは異なる事業目標の立て方が可能になり、それによって顧客体験の精度も増していきます。

戦略としての顧客体験(CX)は、顧客にとって良い体験であることは当然ですが、同時に企業にとって事業成果をもたらすものでなければなりません。だからこそ、「どのような顧客が、どのような商品サービスを、どの程度使って下さればその目標数値が達成できるのか」を可視化できるかは、顧客体験の精度に大きく影響します。デジタル時代においては、事業と体験、そのつながりを生み出すために、事業目標を顧客基点で捉える、あるいは捉えられるようになっていくことの重要性は増していくと考えたほうが良いでしょう。

顧客「基点」と顧客「起点」

ここまでの考察をまとめると以下のようになります。
「事業目標とは、自社がいつまでにどのようになりたいのかを、『言語』と『数値』で表したものであり、『数値』は売上高だけでなくそれをもたらす『顧客数』と共に描くことが肝要である」。
「売上高を『顧客に置き直す』」とは、自社の事業目標を顧客基点で見ることに他なりません。「顧客『起点』で考えよ」という言葉は良く使われますが、起点と基点では意味が大きく異なります。思考において起点とは、「スタート地点」を指すのみです。対して基点とはすべての思考の「基準」を指します。デジタル時代に顧客とつながる事業を思考する際には、商品やサービスを顧客起点で考えることのみならず、事業目標といった事業の前提となる要素をも「顧客基点」で考える必要があるのです。

講師プロフィール
岩井琢磨(いわい・たくま)氏

1993年博報堂DYグループに入社。インストア・プランナー、クリエイティブ・ディレクター、ブランドコンサルタントとしての企業再生プロジェクト参画を経て、2012年にコーポレート・コミュニケーション・センターのセンター長に就く。Chief Project Managerとして、製造業・流通サービス業界を中心とした部署横断型の事業変革プロジェクト、企業ブランド構築プロジェクトの設計・推進を数多く手がける。
2018年9月株式会社顧客時間を設立。共同CEO代表取締役に就任。Head of Managementとして、顧客時間に参画する多様なスペシャリストと共に、数多くの業界・企業におけるDXプロジェクト・事業開発プロジェクトのサポートを行っている。
早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了(MBA)。日本マーケティング学会理事。

著書に『マーケティングの新しい基本』(共著、日経BP社)、『世界最先端のマーケティング 顧客とつながる企業のチャネルシフト戦略』(共著、日経BP社)、『オムニチャネルと顧客戦略の現在』(共著、千倉書房)、『物語戦略』(共著、日経BP社)、『ゲーム・チェンジャーの競争戦略』(共著、日本経済新聞出版社)、『イノベーションの競争戦略』(共著、東洋経済新報社)、『職人軍団、教科書なきイノベーション戦記』(企画、日経BP社)がある。