ビジネスインキュベーションプログラム|大阪の中小企業支援機関。 大阪産業創造館(サンソウカン)

中小企業の経営者・起業家の皆様を支援する機関。大阪産業創造館(サンソウカン)

CXとは「Customer Experience」の略称で、つまり「顧客体験」のことです。「どのような顧客体験を実現するのか」というのは、新規事業を考えるときの基点となります。どんな商品・サービスも、それ自体に価値が包含されているのではなく、顧客が体験したときに初めて価値として認識されるためです。
では顧客体験はどのように描けばいいのでしょう。単に顧客にとって良い体験とは何かをいきなり妄想して描くことは難しいです。仮に描けたとしても、それが事業として有効なのか、戦略に合致しているのかは分かりません。つまり顧客体験をDesignするとは、顧客体験を核とした事業システムをDesignすることに他なりません。
当連載ではCX Designをテーマとし、その要素をひとつずつ取り上げ、新規事業開発においてそれらをどのように考えていくべきかを解説していきます。

第2回事業目的 Business Purpose

事業目的とはなにか

事業目的を具体的に顕すものとして、「企業の存在意義」を示す「パーパス(purpose)」があります。2010年代中頃から企業経営にはパーパス設定が必要であるという論調が多く聞かれるようになり、2020年までの間に多くの雑誌や経営誌などで取り上げられるようになりました。現在は多くの企業で「自社のパーパスとは何か?」という議論や設定の取り組みが成され、経済界で定着しています。
その基点には、競争戦略の大家であるマイケル・ポーター教授が提唱した「CSV」という企業経営の考え方があります。CSVとは “Creating Shared Value” の略で、「共通価値の創造」と訳されます。これは「社会のニーズや問題に取り組むことで社会的価値を創造し、その結果、経済的価値が創造される(※1)」(※1ハーバード・ビジネス・レビュー2011年1-2月号でマイケル・ポーター氏が提唱)という経営アプローチです。論文内では2008年9月15日に米国で起きたリーマンショックの件は直接的には触れていませんが、それはいかに企業が「経済的価値」を創造しようとも、それだけを追求すれば「社会的価値」を大きく毀損し、経済的価値も損なわれるという手痛い経験でした。論文の中で、マイケル・ポーター教授はこう述べています。「近年、『企業の事業活動こそ、社会問題、環境問題、経済問題の元凶である』と前にも増して考えられている。しかしほとんどの企業はいまなおCSR(企業の社会的責任)という考え方にとらわれている。つまり企業にとって、社会問題は中心課題ではなく、その他の課題なのである。いまこそ企業がCSVという概念を持つことにより、企業の成功と社会の進歩は、事業活動によって再び結びつくべきだろう」と。

「CSV」が社会的な共通価値を創造しようとする企業経営の姿勢ならば、それを言語として明文化したものが「パーパス」であると理解できます。パーパスとは従来からいわれているミッションとどう違うのかという議論がありますが、本稿では「社会や顧客にとっての存在意義を定める」ことだと理解できればいいと思っていますので、あえて一般用語である「事業目的」とします。事業目的とは、例えるならば事業における北極星です。北極星は旅人や船の行き先を方向づけますが、決してそこに到達することはありません。事業目標が到達できる地図上のゴール地点を具体的に示す一方で、事業目的は方向を定義づけるものと考えると分かりやすいかもしれません。

CX は”事業目的“が方向づける

顧客体験とは「顧客にとって美しく心地よい体験」を描くことではなく、そのための事業システムの総体をデザインすることであると前回お伝えしました。したがって事業の起点である事業目的が、どのような社会的価値を設定しているかが、実現しようとする顧客体験(CX)を方向づけるのは当然です。
企業を取り巻く環境変化は、顧客の暮らしにとっての環境変化でもあります。高齢化や労働力の不足、さらにはコロナ禍のような急激な変化も起きます。企業にとっても危機的な状況においてなお、顧客のより良い体験のために動けるか。コロナ禍の際には、多くの人々が命の危険にさらされました。特に高齢者は感染した際の重症化リスクが高く、外出どころか日々の買い物にさえ困る状況でした。その際に印象的だったのは、いくつかのドラッグストア企業が、買い物弱者となる高齢顧客に、必需品となったマスクを届けるために行動したことです。当初はマスクの売り切れが続出し、店頭に開店前から行列ができる時期もありました。そのため店頭に並べない高齢者のために販売数量を時間毎に調整したり、オンラインでの予約を取り入れたりという手を打ちました。それは「従来とは違う顧客体験を、短時間で経営判断として創り出す」行動でした。

社会とは、顧客の総和である

前回紹介したヨガウェア・ブランドのルルレモンの事業目的は、ヨガウェアの販売ではなく、”We elevate human potential by helping people feel their best“ (私たちは人々が自身の最高の状態を感じられるようサポートすることで、人間の可能性を高める)でした。だからこそ、ヨガウェアという製品だけでなく、それを体験できる場をつくり、さらにはヨガウェア以外のプロダクト拡張や、自宅でのフィットネスデバイス事業にも進出しています。卓越した顧客体験で知られるスターバックスの事業目的は、美味しいコーヒーを販売することではなく、「人々の心を豊かで活力あるものにする」ことです。だからこそ、コーヒーだけでなく居心地の良い空間と、対話のある接客を創り出しています。そのすべてが彼らにとって「自らの存在価値のために行うべき理由が明確」なことであり、その企業行動が顧客にとっての体験を形づくっています。
社会とは顧客の総体であり、顧客体験とは事業活動の結実です。すべての事業は社会と顧客のためにあります。事業という企業行動はその目的に向けた手段に過ぎず、その目的である社会的価値を実現すればこそ自社に経済的価値がもたらされます。この考えが前提になければ、「顧客との長期的なつながりを築く顧客体験のデザイン」はなし得ません。まず自社の事業目的は何か、と自分自身に問いかけてみてください。顧客体験のデザインとは、そこから始めるべきなのです。

講師プロフィール
岩井琢磨(いわい・たくま)氏

1993年博報堂DYグループに入社。インストア・プランナー、クリエイティブ・ディレクター、ブランドコンサルタントとしての企業再生プロジェクト参画を経て、2012年にコーポレート・コミュニケーション・センターのセンター長に就く。Chief Project Managerとして、製造業・流通サービス業界を中心とした部署横断型の事業変革プロジェクト、企業ブランド構築プロジェクトの設計・推進を数多く手がける。
2018年9月株式会社顧客時間を設立。共同CEO代表取締役に就任。Head of Managementとして、顧客時間に参画する多様なスペシャリストと共に、数多くの業界・企業におけるDXプロジェクト・事業開発プロジェクトのサポートを行っている。
早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了(MBA)。日本マーケティング学会理事。

著書に『マーケティングの新しい基本』(共著、日経BP社)、『世界最先端のマーケティング 顧客とつながる企業のチャネルシフト戦略』(共著、日経BP社)、『オムニチャネルと顧客戦略の現在』(共著、千倉書房)、『物語戦略』(共著、日経BP社)、『ゲーム・チェンジャーの競争戦略』(共著、日本経済新聞出版社)、『イノベーションの競争戦略』(共著、東洋経済新報社)、『職人軍団、教科書なきイノベーション戦記』(企画、日経BP社)がある。