CXとは「Customer Experience」の略称で、つまり「顧客体験」のことです。「どのような顧客体験を実現するのか」というのは、新規事業を考えるときの基点となります。どんな商品・サービスも、それ自体に価値が包含されているのではなく、顧客が体験したときに初めて価値として認識されるためです。
では顧客体験はどのように描けばいいのでしょう。単に顧客にとって良い体験とは何かをいきなり妄想して描くことは難しいです。仮に描けたとしても、それが事業として有効なのか、戦略に合致しているのかは分かりません。つまり顧客体験をDesignするとは、顧客体験を核とした事業システムをDesignすることに他なりません。
当連載ではCX Designをテーマとし、その要素をひとつずつ取り上げ、新規事業開発においてそれらをどのように考えていくべきかを解説していきます。
デジタル時代において企業が顧客との常時のつながりを築ける環境が生まれ、顧客を軸とした戦略立案が可能になりました。これに基づいて顧客接点の役割が変化し、ここを通した顧客提案がよりパーソナルに、よりタイムリーに展開できるようになってきました。そしてこれに伴って、経営のKPIは顧客行動がどのように変化したのかを捉えるものへと変わってきます。これらの変化を統合的に捉え、事業経営の全体像を設計することが、ここまで述べてきたCX Designの要諦です。今回のテーマは「事業組織」です。戦略やKPIが変わってもこれを運用する組織が変わらなければ、描いたCXが実現されることはありません。上記に述べたようなすべての要因を運営していくためには、事業組織はどのようにあるべきでしょう。
私は企業とのプロジェクトを開始する際に、「御社は顧客基点の企業だと思われますか」と経営者に聞くことがあります。「いやそうなりきれていない」という答えが返ってくる場合もありますが、「もちろんすべてにおいて顧客基点であることが弊社のDNAである」と返ってくる場合もあります。そこで「では経営会議の第1項目はなんですか」と重ねて聞くと、「それは売上と利益の現状だ」とおっしゃります。なぜ「すべてにおいて顧客基点」の企業が、経営会議の第1項目で「顧客の現状」を話さないのでしょうか。たかが会議の項目くらいと言うこともできますが、経営者自らが普段から「報酬は売上ではなく顧客がもたらしてくださるものである」という姿勢を示していなければ、いくらCXの重要性を唱えたところでそれが戦略として機能することはありませんし、その実現のために資金や人材といった資源分配が起きることもありません。
特に顧客理解のためのデジタル投資は、非常に大きなものになることがありますし、新たな人員を用意しなければならないことも多いです。これらを単なるコストと捉えるか、中長期的な投資と捉えるかによって、当然ながら経営判断は変わってきます。この視座のズレと、経営会議の第1議題が売上か顧客かということは、あながち無関係ではないと思います。
もちろん売上が重要ではないと言っている訳ではありません。CX経営とは「顧客が基点」であり「売上が結果」であるという思考です。すなわち顧客の幸せへの道のりに貢献することが、自社の成長に繋がっていくという状態をつくることです。基点と結果の双方が重要なのは当然ですが、組織が売上という結果だけを求める行動を優先するようになると、顧客は幸せにする対象ではなく、商品サービスを売りつける対象に変わってしまいます。
特にデジタル時代においては、顧客の購買や行動データが可視化されます。顧客の様子がデータで見えることは、これまで直感に頼らざるを得なかった事業現場からすると大きな武器を得たように思うのは間違いないでしょう。しかし「なんのためにデータを見るのか」が共有されていないと、あたかも「商品を買わせる標的が可視化された」ように思ってしまうことがあります。顧客基点に立つならば、顧客の可視化とは「より売りやすく」するためではなく、あくまでも「顧客の行動をよりよい方向に変えていく提案がしやすく」するためです。
「顧客に幸せになってもらう」ためにはどうすればいいのでしょうか。その時に自社の資源をどう組み合わせ、事業を通して何を提案するのか。「マーケティングの目的とは顧客創造である」というのは、私がビジネススクールで胸に刻んだ慶応大学名誉教授・嶋口充輝先生の言葉です。顧客創造とは、新たな顧客を創り出すことだけではありません。「千人の顧客が万回ずつ来てくださる」、まさに千客万来の状態を創り出すことです。顧客創造とは、すなわち顧客「機会」の創造に他なりません。マーケティング・ミックスの4P(Product、Price、Promotion、Place)は手段であり、これらを組み合わせて顧客の幸せに貢献していく。その結果、先客万来の顧客創造が実現します。それこそがデジタル時代において改めて認識すべきマーケティングの役割であり、現在のマーケターの持つ可能性であり、事業組織のあり方を示すものになるでしょう。
「顧客の幸せをめざす組織」という上記の主旨を考えていけば、それはつまり「カスタマーサクセス組織」ということになります。顧客の状態と行動を知り、顧客接点を豊かにし、そこを通して顧客への提案を行う。その目的を顧客の成功におくということです。この組織が経営会議や顧客戦略会議、さらには日々の提案活動を通した顧客との対話を行い、経営と顧客を直結する役割を担い、企業内に顧客基点という血流を流していく。それが顧客基点の事業組織が担う役割ということになります。
「カスタマーサクセス」という部署名は、これまでIT業界などB2B企業の中で見られました。中長期的に彼らが提供するシステムを使ってもらうというビジネスなので、クライアント企業の成功が自社の成功に直結します。そのためシステム導入後のクライアント企業に寄り添いサポートする組織を、カスタマーサクセスと呼びます。しかしデジタル時代においてはB2C企業もまた、常時の顧客接点を通して、顧客に寄り添い続けることができるようになりました。これを受けていまではB2C企業でも、「カスタマーサクセス」部署が登場しています。これらの企業の事例を見ると、その組織には顧客に寄り添いその成功を継続的に支援するための、「顧客接点」・「顧客提案」・「顧客理解」の機能を統括している形態が多いようです。さらにこの組織はChier Customer Officerに直結し、経営レイヤーからの変革をサポートしつつ、多様な事業部とも横断的につながっています。つまり商品や販売ではなく、顧客を軸とした横断的な機能を有する組織を配置している訳です。
多くの企業がデジタルを経営に導入することに取り組みましたが、それを経た企業は必ず組織課題にも取り組むことになります。ひとことに組織課題と言っても、新しい能力を持つ人員の採用や育成、さらには組織内でのKPI再設定など多様ですが、「デジタルによる経営変革の最終課題は人」です。顧客という「人」に対して、企業という「人」がどのように向き合い、価値を共創していくのか。その姿かたちを創るのがCX Designです。デジタルはCXを大きく革新する手段ではありますが、目的ではありません。自社のCX変革にデジタル技術を取り込んだとしても、その成否はデジタル活用の巧拙以前に「真に顧客基点であるかどうか」が決めるということを忘れてはならないでしょう。
さてこの第10回の「事業組織」で、「CX Design」のデザインの各要因の解説は終了です。次回はいよいよ当連載としての最終回です。ここまで述べてきたCX Designを通して企業がめざすのは、自社の事業変革すなわちInnovationです。最終回となる次回は、改めて「Innovationとは何か」を考え、当連載を締めることにします。
1993年博報堂DYグループに入社。インストア・プランナー、クリエイティブ・ディレクター、ブランドコンサルタントとしての企業再生プロジェクト参画を経て、2012年にコーポレート・コミュニケーション・センターのセンター長に就く。Chief Project Managerとして、製造業・流通サービス業界を中心とした部署横断型の事業変革プロジェクト、企業ブランド構築プロジェクトの設計・推進を数多く手がける。
2018年9月株式会社顧客時間を設立。共同CEO代表取締役に就任。Head of Managementとして、顧客時間に参画する多様なスペシャリストと共に、数多くの業界・企業におけるDXプロジェクト・事業開発プロジェクトのサポートを行っている。
早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了(MBA)。日本マーケティング学会理事。
著書に『マーケティングの新しい基本』(共著、日経BP社)、『世界最先端のマーケティング 顧客とつながる企業のチャネルシフト戦略』(共著、日経BP社)、『オムニチャネルと顧客戦略の現在』(共著、千倉書房)、『物語戦略』(共著、日経BP社)、『ゲーム・チェンジャーの競争戦略』(共著、日本経済新聞出版社)、『イノベーションの競争戦略』(共著、東洋経済新報社)、『職人軍団、教科書なきイノベーション戦記』(企画、日経BP社)がある。