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ビジネス情報紙 Bplatz press

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取材お蔵出し

※2013.1.10現在

先代から引き継いだ最大の価値は「仕入先」。国内最大級の工具通販サイトで起死回生へ 株式会社 大都 山田 岳人氏 代表取締役

企業データ

創業:1937年   従業員数:24名   事業内容:電動工具、建設機械、作業工具など35万点をそろえる通販サイト「DIY-TOOL.COM(ディー・アイ・ワイー・ツール・ドットコム)」を運営。昨年は法人向け専用の「モノトス」も立ち上げた。

リクルートでの勤務を経て妻の実家が営む工具卸業の3代目を継いだ山田氏。一時は廃業までも覚悟した同氏が、起死回生をかけ2002年に立ち上げたのが工具通販サイト「DIYツールドットコム」だ。現在では、国際最大級の商品ラインナップを誇り、2012年には最高益を実現するまでのサイトに育ったが、それまでの道のりは決して平易ではなかった。社員との軋轢、孤軍奮闘の日々、「非常識な業界の常識」・・・立ちはだかる数々の障壁を乗り越え、先代から引き継いだ価値をベースに立ち上げた新規事業で、会社を成長軌道に乗せていくまでのプロセスを聞いた。

―会社の沿革は。

写真

妻の祖父が徳島から出てきて大阪で修業してから工具問屋を起業しました。昭和12年のことです。昭和20年には事務所が戦火で焼けてしまい、生野区で再出発しました。

大阪は製造業の街で、工具メーカーもたくさんあり、産地問屋として工具問屋が集積していたんです。どんな商売をしていたかというと、工具をカバンにつめて汽車に乗り込み西日本全域に行商し、先々で工具屋さんや金物屋さんから注文をもらってきて、帰ってきてから送る。「どてらい男(やつ)」のもーやんの世界ですわ。流通の担い手として必要とされた業種だったんです。

義父に代替わりした昭和40年代からはホームセンターが増え始め、お客さんもそれまでの工具屋さん、金物屋さんからホームセンターへとシフトしていきました。ところが、当時のホームセンターは物流センターを持たず、工具問屋がその機能を果たしていました。お店ごとに売値が違う値札を貼っては発送する。返品があればパッケージを入れ替えたり、時には売り場の販売員として借り出されたり、と。手間ばかりかかって、売上げは増えても儲けが出なくなっていきました。

―山田さんがお義父さんの会社に入った頃の状況はいかがでしたか。

大学卒業後リクルートに勤務してたんですが、結婚して1年後の27歳の時に入社しました。1998年のことです。父から「娘はやるが、会社を継いでくれ」と“結婚の条件”を出され、どの道いつかは起業するつもりやったんですが、何をやるかまでは決めていなかったので、求められて経営をやらせてもらえるんやったらええかと。営業には自信がありましたんでね。

出勤初日。スーツとアタッシェケースで出社したのですが、周囲の目は「なんでスーツ着てるんや」と(笑)。すぐ作業着に着替えて、ミッションのトラックで営業ですわ。お客さん回りして愕然としましたね。ほんまにここ商売してるんやろかというような町の工具店、金物店が売り先やったんです。ああいう店を支えているのが、当時の当社のような卸問屋なんですね。会社で注文の電話をとっても相手は名乗らずに注文個数だけを言うて電話切るとかね。伝票も手書きですよ。で、そういう店に100円単位の商品を毎日配達しに行くんです。週に1回でええやんと思うでしょ? でも競合する問屋が毎日行ってるから、うちだけ行かへんわけにはいかんというんです。お客さんが買うか買わへんかの判断は値段だけ。売り場の提案をしても受け入れてもらえず。リクルート時代の営業は全く通用せえへんのです。

不景気になって価格競争が激化したので1日2回配達に行かざるを得ないようなことになって。しかも手形商売。不景気で不渡りを食らうことも増えて、いよいよこのままではつぶれる、と。

―その状況をどう立って切り抜けようと。

義父に「申し訳ないですが、廃業させてほしい」と頼み込みました。義父にしてみれば、自分の代でつぶすわけにはいかんと、どないしてでもええから続けてほしいという気持ちやったようです。「では、好きにやらせてもらえますか」と言うと、「好きにやり」と、全てを私に任せてくれました。

社員はみな年配ばかりで。僕の次に若い人で40代でした。だからまず言葉が通じない。「モチベーションが」言うてもわからへんのです。赤字やから歯を食いしばって仕事せなあかんのに定時で帰ってしまう。「売上げ上がるまで家に帰るな」という世界で働いていた人間としては理解できませんでした。

そこで「今期赤字やったら会社を清算します」と全社員に向けて宣言。それでも状況は変わらず、1年後は見事に赤字でした。「全員解雇しますが、今やったら退職金を払います。ただこれ以上続けたら退職金も払えへんようになります」と伝え、全員に退職金を支払いました。損益分岐点を計算して、労働分配率をかけて頭割で計算して、一人ひとりに払える給料を提示しました。「これやったら払えますが、それでも続けますか」と。人によっては給料が半分になりましたが、「それでも続ける」とほぼ全社員が残りました。汚い手かもしれへんけど、10人乗りの船に20人のっている状態で、10人突き落とさなければ船は沈んで全員が死んでしまう。そういう状況やったんです。

―ネット販売に着手した背景を教えてください。

清算するやしないやの前年くらいから実は工具のネット販売を始めていました。ネットの知識なんて全くなかったですよ。見よう見まねです。昼間は卸の仕事をして、会社の一室で夜になるとパソコンに向かって、独りで延々作業ですよ(笑)。本業は卸としてロットで販売してたわけですから、1個単位で売る商売を見て周囲は「こんなんビジネスにならへんわ」という冷ややかな雰囲気でした。ところが福島県とか遠方から買う人があって、これはいけるんちゃうかと。メーカーから直接仕入れているからどこよりも早く商品が載せられるし、しかも安いことが何より強みでした。月商100万円になるのに1年半かかりましたが、そこで初めて人を一人採用しました。一人の人件費分の利益が出たら採用しようと思っていたんですが今思えば逆ですよね。本当は早く利益を出すために人を採用せなあかんかったんですけどね。とにかくそれからはどんどん売れていきました。

―業界からの反応はいかがでしたか?

卸が小売を始めたわけですから同業他社からの反発はすごかったですね。でも一番悪しき慣習と言えば手形取引。こんなもん無い方がいいに決まっている。でもずっと続けてきているからどこもようやめられへんのです。

ある程度資金繰りに余裕ができたタイミングで、まず仕入れ先のメーカーに対して「手形取引を一切やめます」と伝えたうえで、一斉にやめました。そして一応筋は通しておいて、その半年後に今度は、売り先の手形取引もやめることにしました。売り先に対して手形取引をやめると言うとたいがいは「じゃあもう取引しません」となるのですが、それを覚悟で進めていきました。

年間何億という取引があるホームセンターにも「取引をやめさせてほしい」と言いに行きました。「手形をやめて現金取引してくれないなら取引をやめたい」と。向こうもプライドがあるわけで、交渉は決裂しました。ところが、こっちが申し出た話やのに、先方は「うちが切ったった」と業界内で触れまわったもんやから、「大都は大丈夫か」と噂が立ってね(笑)。うちも資金繰りでしばらく苦しみましたが、正しい決断をしたと思ってます。

―異業界から入ってきたからこそ、思い切った決断と行動に踏み切れたんでしょうか?

景気が良ければそんなんせんでもよかったんでしょうけど、会社が存続できるかか否かという瀬戸際までいけば背に腹は代えられませんでした。

だから、僕のこと嫌いな人は相当いると思いますよ。辞めた社員には毎年年賀状を送り続けていました。返信は一切ありませんでしたけどね。送り続けて5、6年目のときに、ある人から「その人は年賀状が来るたびに、その時のことを思い出して嫌な思いをしていますよ」と言われ、それもそうやなぁと思ってやめました。

先代は優しい人でしたし、もしかしたらリストラなんか自分ではようやらなかったかもしれませんね。それに、創業者は先代にはなかなかバトンを渡さなかったそうです。義父は2代目だからその苦労もわかっていたのでしょう。10年前に僕に「任せる。好きにしていい」と言ってから、先代は私のやることに一切口出しすることはありませんでした。サーバを購入するために何千万円という借り入れをお願いしても黙ってハンコを押してくれました。それはすごい人やなと思いますね。

先代の商売は残せなかったけど、会社は続けることができた。義父は昨年亡くなりましたが、会社が息を吹き返したところを見せてあげられたのでよかったと思っています。

―オフィスに入ると若い社員の方も多くてとても自由な雰囲気を感じます。

うちの社員は全員ミドルネームを持ってるんですよ。僕のミドルネームは「ジャック」で、皆からそう呼ばれてます(笑)。

僕はリクルートにいた頃、会社に行くのがとても楽しかったんです。だからこの会社もそういう会社にしよう、と。そう思えればおのずと仕事の成果も出ますよね。

JRの寺田町駅から10分のところにあるし、工具問屋やし。それでもうちの会社に来たいと思えるような会社にしないとあかんと思っていろいろやってます。

実は来年初めて新卒の子が3人入ってくるんです。面接でちゃんと話をしたら優秀な子が来るんですよね。今からものすごく楽しみです。この1月からオフィスのリニューアル工事に入って4月に新たなオフィスで新入社員を迎えようとしています。とても面白いオフィスになりますよ。オフィスを新しくするに当たっては移転も考えたんですけどね。でも先代が昨年の2月に亡くなって・・・やはりこの地で続けようと決めました。

僕らは単なるお店ではなくて、「DIY業界のトータルプラットフォーム」を提供し、メーカーの情報をユーザーに届ける役割を果たそうと考えています。

―昨年6月には法人専用のオンラインショップも始めたそうですね。

法人専用のネットホームセンターは業界初です。お客さんで一番多いのは一般企業で次に学校法人です。学校専門の納品業者がどんどん今廃業していっているんですね。それからかつて備品購入のお金の使われ方が不明朗な時代があって、文部科学省が今は必ず2社以上から見積もりを取りなさいと指導が入っているんです。それで使いやすいようにと自動見積もり機能を載せたらこれが好評でお客様には喜ばれています。

ちょうど昨年でネットビジネスを始めて10年になりましたが、昨年に卸から完全撤退し業態を転換しました。つまり10年かけて100%お客さんが入れ替わったことになります。でもそれを実現できたのは、祖父の時代から長い時間をかけて築いた仕入れ先であるメーカーとの信頼関係があったからこそ。改めて先代から受け継いだ価値を実感しています。

それとビジネスで重要なのはどこで戦うかということ。古い慣習に縛られているような業界はどうしても業界の中にいる人の意識がのんびりしているので勝つ確率が高くなります。古い業界だからとあきらめるのではなく、古い業界だからこそやりようによってはビジネスチャンスになると思います。

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